毎日続けていたモーニングノートの記録もとうとうストップしてしまった。 17日連続でストップ。 毎日続いていた英会話アプリSpeakも連続記録ストップ、 かと思われたが、 2レッスンやると連続記録更新できるシステムのようで、 無事連続記録更新中である。 いいのだこれで。 モーニングノートにそんなシステムはないのだけれど、いいのだ連続記録など。 今日やって、明日やらなくて、明後日やっても線で見れば繋がってるのだ。 もし今日できなくても、そんなもんだ、と気にするな。 明日できると信じ ...
好きということは、(違いが)わかることだとも聞いたことがある。 わかるということは、分ける(分解できる)ことができる事だとも教わった。 ということは、 好きというのは、細かな観察→微妙な違いの発見→分類・分解→知見の再構築みたいなサイクルがぐるんぐるん回っている状態なのかもしれない。 例えば、友人に革ジャン好きがいる。 僕から見たら、同じ革ジャンなので、そう伝えると細かな差異や目に見えない歴史なんかを熱く語ってくれる。 僕も彼も同じ革ジャンを見ているが、受け取り方が全く違う。 同じものを見て ...
今日はびっくりするくらい書くことが思いつかない。 こういう時自分は何を考えているのかといえば、見栄である。 よく思われたい、気の利いたことを言いたいとかそんなこと。 自分の思っていることを押しのけてそんなことを考えると、 途端に手が止まるのかも。 逆に仕事みたいにターゲットだとか、キーワードだとか、 そういったSEO的なことの方がまだ考えるのも幾ばくか楽かもしれない。 それでも自分の中での腹落ちは必要だけれども。 くだらん見栄は捨てなぐれ
明日の仕事の予定を見て、ドキドキしてしまうことがある。 検査の結果を前に、バクバクしてしまうことがある。 いてもたっても居られなくて、狂ったように検索してしまう。 安堵の情報を見つけては疑い、目を避けたくなるような情報はしっかりと読み込んでしまう。 そして次の情報を求めて検索する。 安堵を疑うくせに。 この視点は変えねばならない。 さもなくば、これからも襲い来るたくさんの不安を前に、ぽっくり倒れてしまうだろう。 「今だけは安全だ」 実際そうなのだ。 明日の仕事は明 ...
久しぶりに海に行った。 前回は1人で、今回は3人で。 普段絶対に言わないし、行きたいなんて言わないのに、 なぜか海が見たくなった。 海に連れて行きたくなったが正しいかもしれない。 数週間後には、また、2人に戻るだろう。 だけど、まだ見ぬ未来には、また一緒にいける日がくる。 絶対くる。 信じることは、浮かすこと。浮遊芸だと理解している。 強く思うだけではダメで、信じた後はふわっと浮かすこと。 執着になってはならない。 ただただそういった思いを俯瞰して、宙に浮かせばい ...