自分に都合のいい言葉しか聞きたくない。
本はもはや自分の興味あるものしか読みきれない。
音楽は自分の興味ある分野以外はなかなか聞く気になれない。
他人が介在しない領域については、興味の向く、ある種自分にとって都合のいいものだけをやればいいのだろう。
問題は、他人からの言葉だ。
自分に「都合のいい言葉」とはなんだろう。
瞬間的には耳障りのいい言葉、つまり、褒められたり認められたり、そういう類に言葉なのだろう。
ただ、こういう言葉は後に残らない。
一方で、長期的には、耳障りの悪い言葉、つまり、痛いところを指摘されたり、怒られたり、そういう類の言葉なのだろう。
こういう言葉は核心であればあるほど、反芻する。心に残る。
ただ、気をつけたいのは核心をついてなければならない。
そうでなければ、言う側も言われる側も双方つまらない結末になる。
僕が生きている以上、都合は変わる。
年月をかけて変わることを理解しておくと良い。
これは他人にも言える。
ただ、他人の都合を正確に図ることは困難なので、
うだうだ考えず、かけたい言葉をかけやがれ。
逃すと消えるぞばかたれが