2024年10月1日/自分に都合のいい言葉

自分に都合のいい言葉しか聞きたくない。

本はもはや自分の興味あるものしか読みきれない。

音楽は自分の興味ある分野以外はなかなか聞く気になれない。

 

他人が介在しない領域については、興味の向く、ある種自分にとって都合のいいものだけをやればいいのだろう。

問題は、他人からの言葉だ。

 

自分に「都合のいい言葉」とはなんだろう。

 

瞬間的には耳障りのいい言葉、つまり、褒められたり認められたり、そういう類に言葉なのだろう。

ただ、こういう言葉は後に残らない。

 

一方で、長期的には、耳障りの悪い言葉、つまり、痛いところを指摘されたり、怒られたり、そういう類の言葉なのだろう。

こういう言葉は核心であればあるほど、反芻する。心に残る。

 

ただ、気をつけたいのは核心をついてなければならない。

そうでなければ、言う側も言われる側も双方つまらない結末になる。

 

僕が生きている以上、都合は変わる。

年月をかけて変わることを理解しておくと良い。

これは他人にも言える。

ただ、他人の都合を正確に図ることは困難なので、

うだうだ考えず、かけたい言葉をかけやがれ。

 

逃すと消えるぞばかたれが

    -日記