好きということは、(違いが)わかることだとも聞いたことがある。
わかるということは、分ける(分解できる)ことができる事だとも教わった。
ということは、
好きというのは、細かな観察→微妙な違いの発見→分類・分解→知見の再構築みたいなサイクルがぐるんぐるん回っている状態なのかもしれない。
例えば、友人に革ジャン好きがいる。
僕から見たら、同じ革ジャンなので、そう伝えると細かな差異や目に見えない歴史なんかを熱く語ってくれる。
僕も彼も同じ革ジャンを見ているが、受け取り方が全く違う。
同じものを見ているが、見えているものが違うのだ。
こういう温度差を感じると自分がマダニになったようで心地よい。
恥も外聞もなく、飛び込めや